おたるやき 小 樽 焼 |
北海道小樽市 ♣ 明治32(1900)年~ |
越後新発田の藩御用窯の陶工であった白勢慎治が、明治維新後小樽に渡り、良質の土を見つけて開窯。当初は古代文様やアイヌ風模様などの絵を描いた独特の作風でしたが、現在はさまざまな独創的作品が作られ、特に緑玉織部という透明感のある青緑色の釉薬が有名です。 |
つがるやき 津 軽 焼 |
青森県弘前市 ♣ 元禄4(1691)年~ |
平清水三右衛門、瀬戸助、久兵衛らによって築窯されましたが、大正末期頃にすべての窯が廃窯。昭和11(1936)年に再考され、現在に至っています。青森の郷土色を生かし、りんごの木倍を原料としたリンゴ釉なども特徴的。 |
はちのへやき 八 戸 焼 |
青森県八戸市 ♣ 江戸時代末期~ |
八戸焼、あるいは蟹沢焼と呼ばれた民窯ですが、昭和には既に幻のやきものと呼ばれるようになっていました。現在は、昭和50(1975)年に渡辺照山により再興され、海草色と呼ばれる独自の緑釉が人気です。 |
しらいわやき 白 岩 焼 |
秋田県仙北市角館 ♣ 明治8(1771)年~ |
相馬(福島県)の陶工・松本運七が白岩村前郷(仙北市角館)に開窯。その後、東北の3大窯業地の一つと言われるほどでしたが、明治33(1900)年にはすべて廃窯。昭和50(1975)年に、渡辺すなおが再興し、現在に至っています。作品は、青白い海鼠釉(なまこゆう)や鉄釉、飴釉、緑釉などです。 |
ならおかやき 楢 岡 焼 |
秋田県大仙市 ♣ 江戸時代末期~ |
かつては数軒の窯元がありましたが、現在は角右衛門窯のみが残っています。有名なのは、独特な青みと深みを持つ海鼠釉(なまこゆう)で、際立つ青が流れたり斑になったりして表面に景色を与えています。 |
つつみやき 堤 焼 |
宮城県仙台市 ♣ 江戸時代~ |
仙台の杉山台の陶土を使用したことから、杉山焼とも呼ばれ、乾山風の作品が特徴。近代には民芸運動の柳宗悦によって脚光を浴びましたが、窯業地全体としては衰退をたどってしまいました。現在は、かつての伊達藩御用窯であった針生窯が仙台市泉区に移転し、親子で陶芸家として有名です。 |
ひらしみずやき 平 清 水 焼 |
山形県山形市平清水 ♣ 平安時代~ |
始まりは覚大師が千歳山の土を使って焼きを教えたと伝えられています。窯業地としての本格的な成立は江戸時代中期頃。千歳山の原土を使用するため、千歳焼とも呼ばれます。梨青磁の青龍窯、油滴天目の平吉窯、そして民芸陶器の七右ェ門窯と、各窯がそれぞれの特徴を競い合っています。 |
あいづほんごうやき 会津本郷焼 |
福島県会津美里町 ♣ 文禄2(1593)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
若松城の大改修で黒瓦を製造したのが始まりとされ、その後、正保2(1645)年に会津藩主・保科正之が瀬戸の陶工を招聘して、本格的に製造が開始します。寛政12(1800)年には白磁が作られるようになり、さらに発展。幕末の戊辰戦争などで大打撃を受けた時期もありますが、現在も盛んに生産を続け、純白の肌と優雅な文様の磁器が人気です。 |
おおぼりそうまやき 大堀相馬焼 |
福島県浪江町大堀 ♣ 江戸時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
相馬藩内で農家の副業として発展し、江戸末期には100数戸の窯元が存在しましたが、明治期になると藩の援助もなくなり、減少。現在は約30軒の窯元が活動しています。器全体に地模様のように見える「青ひび」と、伸びやかな筆使いで描かれる「走り駒」が特徴的です。 |
そうまこまやき 相 馬 駒 焼 |
福島県相馬市 ♣ 江戸時代~ |
京の野々村仁清の元で修行した田代源吾右衛門(のちに清治右衛門)が開窯。窯元当主は代々田代清治右衛門を襲名します。走り馬(駒)が特徴的で、駒焼とも呼ばれています。 |
ましこやき 益 子 焼 |
栃木県益子 ♣ 江戸時代末期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
笠間で修行した大塚啓三郎が開窯、鉢、水甕、土瓶など日用の道具の産地として発展しました。大正13(1924)年に民芸運動を進めた陶芸家・濱田庄司が移住・開窯したことが影響し、益子焼は美術工芸品としても注目されるようになりました。現在は多種多様な陶芸家が集まり、作風も多種多様です。 |
かさまやき 笠 間 焼 |
茨城県笠間市 ♣ 安永年間 (1772~1781年)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で開窯。明治以降も厨房用粗陶器の産地として知られていましたが、徐々に衰微しました。しかし、昭和25(1950)年に茨城県窯業指導所が設立し、窯元が増加しました。現在では指導所出身者も含めて、県内外から多様な陶芸家が集まり、伝統と同時に作家の個性も重んじられています。 |
むみょういやき 無 名 異 焼 |
新潟県佐渡市相川 ♣ 江戸時代後期~ |
佐渡の無名異の土を使用し、楽焼(低温焼成の施釉陶器)を作ったのが始まりと言われています。明治に入り、高温で焼く硬質の無名異焼が完成しました。成形後と焼成後の二度にわたって磨きをかけて光沢を出すのが特徴で、堅く焼締まっているので、指ではじくと金属のような音が鳴ります。 |
おおひやき 大 樋 焼 |
石川県金沢市 ♣ 寛文6(1666)年~ |
楽家で修業した陶工・土師長左衛門を加賀藩主が招聘し、金沢氏大樋町に開窯、藩御用窯として、大樋姓を許されました。現在は10代目が活躍しています。楽焼の脇窯として茶陶を中心とした作品が作られ、飴釉が特徴的です。 |
くたにやき 九 谷 焼 |
石川県 金沢・小松・加賀・能美市 ♣ 明暦1(1655)年頃~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 ♥ 石川県無形文化財 |
九谷村で陶石を発見され、肥前有田で修業した後藤才次郎が九谷の地で開窯。この当初の作品を「古九谷」と呼びますが、短期間で廃窯。約100年後に再興され、その後は「再興九谷」として区別されています。再興九谷は青手の吉田屋窯、赤絵細描の宮本屋窯、京から招聘された名工・永楽和全の金襴手、九谷庄三の豪華な彩色金襴手など様々な窯が現れ、隆盛し、明治のウィーン万国博覧会でも海外から高く評価されました。現在でも多くの作家・名工を輩出しており、高い人気を誇っています。 |
すずやき 珠 洲 焼 |
石川県珠洲市 ♣ 平安時代末期~ |
古墳時代中期に大陸から伝播した須恵器の系統を受け継ぐやきもので、古くから、壺・甕・擂鉢を主とした日常雑器が作られましたが、戦国期に姿を消し、幻の古陶と呼ばれていました。昭和30(1955)年以降、窯跡の発掘・研究が進み、考古学者により「珠洲焼」と命名されて注目されるようになったのです。昭和53(1978)年に珠洲市陶芸センター(技術指導所)が設立し、珠洲焼が復興。現在は多くの窯元や陶芸家が集まってきています。 |
えちぜんやき 越 前 焼 |
福井県越前 ♣ 平安時代末期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
東海地方からやってきた陶工の集団が越前町小曽原に開窯したのが始まりと言われ、日本六古窯の一つとして有名。室町後期には25mを越える大窯が作られ、壺・甕・擂鉢を主とした日常雑器が大量生産されましたが、江戸時代にはいると生産量も減少。明治に入って信楽や瀬戸・九谷などから陶工を招いて食器や花瓶作りなどを始め、また後継者の育成にも努めています。 |
あかつやき 赤 津 焼 |
愛知県瀬戸市赤津 ♣ 慶長15(1610)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
美濃で修業した仁兵衛・陶三郎の兄弟が尾張藩主に招聘され、赤津で開窯。織部釉・志野釉・黄瀬戸釉・古瀬戸釉・灰釉・御深井釉・鉄釉の7種類の釉薬と、へら彫り・印花・櫛目・三島手などの12種類の多彩な装飾技法が特徴です。 |
せとそめつけやき 瀬戸染付焼 |
愛知県瀬戸市 ♣ 江戸時代 (19世紀初頭)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
瀬戸の磁祖と呼ばれる加藤民吉(?~1824)が磁器の製造法を肥前で学び、瀬戸で瀬戸染付磁器を創成しました。透けるような白い素地に良質な呉須(青の顔料)を使って、日本画のような筆致で描いた山水・花鳥などの作風は、他の窯業地と一線を画し、近代の瀬戸窯業を飛躍させる大きな要因となりました。 |
せとやき 瀬 戸 焼 |
愛知県瀬戸市 ♣ 平安時代~ |
瀬戸窯業の歴史は古く、遅くとも11世紀初頭には開始していたと考えられます。平安時代末期からは無釉の碗や皿などが大量に生産され、また鎌倉時代初期から室町時代中期は「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器が作られました。桃山時代には天目茶碗などの高級な茶陶、江戸時代に入って、染付磁器が開発されました。現在は、瀬戸窯業の近代化・機械化が進み、産業としての窯業と、美術工芸の分野が共存しています。 |
とこなめやき 常 滑 焼 |
愛知県常滑市 ♣ 平安時代末期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
日本六古窯の一つに挙げられ、中でも最大の生産地だったとされています。室町時代には大型の甕や壺が大量に生産され、日本各地に流通しました。江戸時代になって、それまでになかった茶道具などの工芸品が登場し、中でも、現在でも名高い朱泥の急須は、江戸時代の終わり頃に中国の陶器を参考に作られたとされています。 |
しぶくさやき 渋 草 焼 |
岐阜県高山市 ♣ 天保12(1841)年~ ♥ 高山市指定 有形民族文化財 |
飛騨郡代・豊田藤之進が戸田柳造に焼かせたことが始まりとされます。地元の渋草陶石を使用し、飛騨九谷・飛騨赤絵と呼ばれる陶磁器を作り始めました。一時期衰退しましたが、明治11(1878)年に芳国社が設立され、再興し現在に至ります。白磁に染付、赤絵などを施し、独特の渋草調を生みだしています。 |
みのやき 美 濃 焼 |
岐阜県 多治見・土岐・瑞浪市 ♣ 平安時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
岐阜県美濃地方の東部・東濃地方で焼かれるやきものの総称で、古くは古墳時代より焼かれていたとされています。窯業としての成立は平安時代の須恵器、その後は桃山時代の茶陶の隆盛似合わせて、古田織部らの先導によって志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒などが創造されました。最も有名な志野茶碗《卯花墻》は、日本製のやきものとしては数少ない国宝(国宝の茶碗のほとんどが中国製の天目茶碗)。近代以降も、荒川豊藏をはじめとして多くの陶芸家が集まり、窯元による伝統と、個々の陶芸家の活動の両方が盛んです。 |
いがやき 伊 賀 焼 |
三重県伊賀市 ♣ 奈良時代頃?~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
古い歴史を誇る古窯ですが、平安末期頃にはすでに本格的な窯業地として発展していたと考えられています。室町後期から桃山時代にかけて、茶の湯の隆盛により、伊賀焼も個性的な茶陶を「破調の美」として注目されるようになりました。江戸時代中期に一時期衰退しますが、18世紀中頃に再興され、現在では、伊賀市丸柱を中心に、土鍋や食器、茶陶など多岐にわたって作られています。 |
よっかいち |
三重県四日市市 ♣ 元文年間 (1736~1741年)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
沼波弄山が創始した、異国趣味の斬新な赤絵が特徴的なやきものです。この弄山作品を「古萬古」と呼びますが、弄山の後は一時期途絶えてしまいました。その後、森有節、千秋の兄弟によって再興されますが、古萬古とは様式が異なり、ピンク色の釉薬に粉彩(上絵付の一種)を施した華麗なもので、「有節萬古」と呼ばれています。現在の四日市萬古焼は、この流れをくんでいます。 |
しがらきやき 信 楽 焼 |
滋賀県信楽 ♣ 天平年間 (729~749年)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
日本六古窯の一つに挙げられ、聖武天皇が紫香楽宮の造営時に、瓦や汁器の須恵器が焼かれたことにはじまったとされています。その後は中世の主流の日常雑器である壺・甕・擂鉢、室町から桃山時代の茶陶、江戸時代には商業の発展に伴い、梅壷・みそ壷・徳利・土鍋など様々な種類が作られるようになりました。信楽の無釉焼締は、灰が溶けて釉薬をかけたようになる自然_(ビードロ_)と、焼成による火色の景色が特徴的で、“侘び・寂”の作風として人気があり、現在まで続いています。 |
きょうやき・ きよみずやき 京焼・清水焼 |
京都市五条坂 清水焼団地、他 ♣ 創業時期不詳 ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
古墳時代頃の土器や須恵器、瓦、緑_陶器などが焼かれた跡がありますが、一般的には江戸初期からの京窯によるやきものの総称(楽焼を除く)を指します。清水焼とは、この中でも東山の清水・五条坂で焼かれたやきものです。作風としては、野々村仁清や尾形乾山の登場により、絵画的・蒔絵的な意匠の色絵陶器が主流となり、中でも江戸初期から中期にかけてのものを「古清水」と呼んでいます。その後、磁器が作れるようになり、奥田頴川や青木木米、仁阿弥道八など名高い名陶が次々と登場し、現在でも高い人気を保っています。 |
らくやき 楽 焼 |
京都市上京区 ♣ 桃山時代~ |
樂家初代長治郎によって創始され、その後も樂家歴代によって作られているやきものです。成形にロクロを用いず、手捏ねで作られ、内窯(室内の小型窯)で比較的低温で焼成。初代長治郎は茶の湯の大成者である千利休の指導によって楽焼を作り上げたとも言われており、作品も茶陶が中心。中でも樂茶碗は名高く、赤樂・黒樂の名品が数多く残されています。当主は代々樂吉左衞門を名乗り、現在は15代目で人気作家。また、広義での楽焼は、大樋焼などの樂家の脇窯をはじめ、低下度で焼かれた軟質陶器全般までを指すこともあります。 |
あかはだやき 赤 膚 焼 |
奈良市赤膚町・五条山 ♣ 創業時期不詳 |
古くは埴輪や土器、奈良時代以後は日常雑器などを作られていたと考えられますが、始まりに関する詳細は不明です。文献資料としては天正年間(1573~1592)以後で、現在の赤膚焼として確立は江戸時代に入ってからです。赤膚焼の中興の祖は陶工・木白で、様々な茶陶を焼き、名声を高めました。現在では、作風が時代に応じて変化し、モダンなデザインなど多種多様になっています。 |
いずしやき 出 石 焼 |
兵庫県出石 ♣ 江戸時代中期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
伊豆屋弥左衛門が出石郡細見村に開窯、二八屋珍左衛門が出石町谷山の柿谷において白色原石を発見したことが現在の出石焼の基礎となったとされています。江戸時代後期には、染付師鹿児島屋粛平が出石町西位花山に開窯し、多くの優品を生み出しました。この作品は現在でも愛陶家の垂涎の的になっています。現在の出石焼は白磁を中心としたやきもので人気です。 |
たんばたちくいやき 丹波立杭焼 |
兵庫県篠山市立杭 ♣ 平安末期・鎌倉初期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
日本六古窯の一つであり、当初は壺・甕・擂鉢が主流でしたが、江戸前期には茶入や水指、茶碗、後期には名工も登場して、湯呑・皿・鉢・徳利・花瓶など、様々な生活用器で広く知られるようになりました。特に、徳利は人気が高く、様々な形や意匠の作品がたくさん残されています。以前は「丹波焼」や「立杭焼」と呼ばれていましたが、現在は「丹波立杭焼」の名称で伝統的工芸品指定を受けており、多くの窯元や陶芸家たちが、様々な時代の作風を伝統としたり、あるいは独自の様式や技術を生み出し、多種多様な作風が楽しめます。 |
おおたにやき 大 谷 焼 |
徳島県鳴門市 ♣ 安永9(1780)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
徳島藩主が磁器焼成を目指し、肥前(九州)の陶工を招聘して藩窯を作ったのが始まりとされています。しかし、地元に磁器の材料がないため短期間で閉窯、その後天明4(1784)年に信楽の陶工の指導の下に再興されました。現在では、大甕から日用雑器まで様々なものが作られ、民芸調や独自性あふれるやきものまで、人気となっています。 |
とべやき 砥 部 焼 |
愛媛県砥部 ♣ 江戸時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
当初は日用陶器などが作られていたようですが、本格的には、安永4(1775)年に、藩主が砥石山から切り出される砥石を原料として磁器生産を命じたことで始まります。肥前(九州)から呼び寄せられた陶工により白磁の焼成に成功、その後は文政1(1818)年に良質の川登陶石が発見され、より白い磁器を作りことが可能になりました。近代になり、民芸運動の柳宗悦、バーナード・リーチ、浜田庄司らが砥部焼を高く評価し、さらに富本憲吉が近代的デザインを後押したことで、現在まで手作りの魅力とモダンな作風が、人気を集めています。 |
いんきゅうざんやき 因 久 山 焼 |
鳥取県八頭 ♣ 明和年間 (1764~1772年)~ |
京焼の陶工・六兵衛が伝えて創始、池田藩の御用窯として庇護されていました。因久山の名は所在地の因幡国久能寺にちなんでいます。その後、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成されました。名工が次々と登場し、茶陶や日用雑器を作り続け、藁灰釉や緑釉、海鼠釉、辰砂などさまざまな釉薬を用いた素朴で格調高い作品が広く愛好され続けています。 |
うしのとやき 牛 ノ 戸 焼 |
鳥取県牛戸 ♣ 天保年間 (1830~1844年)~ |
因幡の陶工、金河藤七によって開窯されましたが、藩などの庇護のない民窯のため、一時的に衰退。昭和に入って、民芸運動の吉田璋也、柳宗悦、バーナード・リーチらの指導の下、復興しました。以後は民芸調の「用の美」を追求したやきものとして、高い評価を得て現在に至っています。 |
いわみやき 石 見 焼 |
島根県江津市 ♣ 江戸時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
周防岩国藩から製陶法が伝わったとされ、大甕などを中心に、北前船で全国に出荷されてきました。現在では多様なニーズに合わせ、甕以外にも茶器や壺、食器など様々なものが作られています。深みのある茶褐色の釉薬が伝統的な特徴ですが、現在では研究も進み、彩りも様々になってきています。 |
しゅっさいやき 出 西 焼 |
島根県安来市 ♣ 昭和22(1947)年~ |
松江の袖師窯や益子、丹波、沖縄など全国各地で学んだ地元出身の5人が協同して開窯。創業時から民芸運動の柳宗悦や河井寛次郎、バーナード・リーチなどの指導を受け、現在に至っています。伝統の継承と同時に、モダンな作風が加わり、大衆向けの民陶として人気です。 |
そでしやき 袖 師 焼 |
島根県松江市 ♣ 明治10(1877)年~ |
初代・尾野友市により松江市上乃木の皇子坂に開窯。昭和に入って、民芸運動に参加、河井寛次郎らの指導を受けて、民陶として現在に至っています。出雲に伝わる技術を基本に、地元の土と釉薬にこだわり、一方で時代のニーズに合わせた様々な日用雑器などを作っています。 |
ふじなやき 布 志 名 焼 |
島根県布志名 ♣ 江戸時代中期~ |
舩木与次兵衛村政が開窯。その後、楽山窯より移住した土屋善四郎の指導で布志名焼の品質は向上しました。昭和に入ってからは民芸運動にいち早く参加し、化粧泥で模様を施したスリップウエアなどの作品も作られるようになり、現在に至っています。 |
もりやき 母 里 焼 |
島根県安来市伯太町 ♣ 弘化1(1844)年~ |
母里藩の産業・文化事業として開窯、御用窯として、茶碗や皿、湯のみ、土瓶といった日用陶器を中心に作られてきました。特徴的なのは色の豊富さです。伝統の色に加え、現在までに窯元が新しく加えた色を含めると約30種類もの釉薬があります。 |
びぜんやき 備 前 焼 |
岡山県備前市伊部 ♣ 古墳時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
古墳時代の須恵器が変化し、平安時代に生活用器の碗・皿・盤や瓦などが生産されたのが始まり。鎌倉時代には壷・甕・擂鉢が多く作られ、室町時代以降には茶陶や日常雑器の他に置物なども作られるようになります。近代に入って衰退するも、中興の祖と呼ばる、人間国宝・金重陶陽により、再び脚光を浴び、その後も藤原啓、山本陶秀、藤原雄、現在の伊勢﨑淳と、次々と人間国宝を排出。作風は、釉薬や絵付なしで焼き、土味を見せるのが特徴です。焼き味の景色は、胡麻・緋襷・牡丹餅などと呼ばれる変化が愛好家に楽しまれています。 |
はぎやき 萩 焼 |
山口県萩市・長門市 ♣ 慶長9(1604)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
陶祖である、朝鮮渡来の李勺光・李敬兄弟が御用窯として開窯。この御用窯を「松本萩」、後に別れて長門に築窯されたものを「深川萩」と呼ばれます。松本萩としては、坂高麗左右衛門や三輪休雪(先代は人間国宝)、深川萩には坂倉新兵衛や田原陶兵衛・坂田泥華などの家が伝統的な陶家として代々受け継がれて有名です。作品は高い吸水性が特徴としてあげられ、長年使っているうちに茶や酒が浸透する「茶馴れ」が使い手に愛されています。 |
あがのやき 上 野 焼 |
福岡県田川郡 香春町・福智町 ♣ 慶長年間 (1596~1615年)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
千利休の弟子であった豊前藩主・細川忠興が招聘し、渡来した朝鮮の陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯、格調高い茶陶を作りました。遠州七窯の一つにもあげられ、当時の茶人に愛好されました。現在では茶陶だけでなく、日用雑器なども作られるようになり、時代によって趣を変化させながらも、洗練された作品を保っています。 |
こいしばらやき 小 石 原 焼 |
福岡県小石原 ♣ 江戸時代前期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
黒田藩藩主が陶工を招いて開窯した、筑前最初の窯業地です。主に日用陶器が焼かれ、刷毛目、飛び鉋、櫛描などによる独特な文様が特徴的です。 |
たかとりやき 高 取 焼 |
福岡県直方市 ♣ 慶長年間 (1596~1615年)~ |
筑前藩主・黒田長政の指示により、渡来した朝鮮の陶工・八山(和名:高取八蔵)が開窯。前黒田藩の御用窯として、茶人大名だった黒田如水、小堀遠州らが九州の風土の中で育てあげ、上質な茶陶が作られました。遠州七窯の一つにあげられ、中興名物の茶入などは特に有名です。現在では、高取黄釉、白釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、真黒釉、緑青釉、ふらし釉、飴釉などの釉薬の種類があり、茶陶を中心に様々なものが作られています。 |
ありたやき 有 田 焼 |
佐賀県有田 ♣ 江戸時代初期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
有田で焼かれた磁器の総称が有田焼です。以前は伊万里港から出荷されていたため、「伊万里焼」と呼ばれていました。1616年に渡来した朝鮮の陶工・李参平が磁器の原料となる陶石を有田で発見し、国内ではじめて磁器の焼成が行われるようになったが始まりです。17世紀後半には、有田焼は国内はもちろん、海外への輸出を盛んに行われるようになり、隆盛を誇りました。作風は、堅く薄く丈夫で、透明感のある白磁に鮮やかな絵付が施された華麗なもの、現在でも多くの窯元や作家が競い合っています。 |
いまりやき 伊 万 里 焼 |
佐賀県伊万里市 ♣ 江戸時代初期~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
江戸時代、肥前で焼かれた磁器を伊万里港から出荷していたため、総称として伊万里焼と呼んでいました。これを「古伊万里」として区分しています。対して、現在の伊万里焼とは、鍋島藩の御用窯として大川内山で焼かれた「鍋島焼」を受けついてきた、大川内山のやきもののことを呼んでいますが、厳密に有田焼との区別は難しいのが実情です。ちなみに鍋島焼は献上用として作れた最高級の磁器を目指したもので、その高度な技法と様式美を現在まで受け継がれており、現在14代目となる今泉今右衛門家はその代表です。 |
からつやき 唐 津 焼 |
佐賀県唐津市・武雄市 ♣ 桃山時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
古くから朝鮮より陶器の技術が伝えられていたと考えられていますが、現在の唐津焼につながる、本格的な窯業としては、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に渡来した陶工たちによって開窯されたのが始まりです。茶陶の優品が数多く残されていますが、日常雑器も人気があり、特に愛陶家の間では、「備前の徳利、唐津のぐい呑」と言われるほど、作風も絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津・彫唐津など種類も豊富です。中でも有名な伝統の陶家・中里太郎衛門は当代で14代目、過去には人間国宝も排出しています。 |
うつつがわやき 現 川 焼 |
長崎市現川 ♣ 元禄4(1691)年~ |
矢上村(現在の長崎市現川町)で田中宗悦によって開窯、矢上焼とも呼ばれます。唐津風と京風が混じった作風で茶碗、皿、鉢、向付などが焼かれましたが、寛保年間(1741-1744)には廃窯になってしまいました。その後、明治になって、馬場藤太夫が再興、昭和になって横石臥牛によって古現川焼が復興され、現在に至っています。薄手の素地に白い化粧泥を刷毛で施した作品が有名で、刷毛目入れ方によって様々な文様が現れ、魅力となっています。 |
はさみやき 波 佐 見 焼 |
長崎県波佐見 ♣ 江戸時代?~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
始まりは諸説があり、詳細が不明ですが、初期には陶器が作られ、後に青磁、さらに染付が作られるようななりました。そのほとんどが日常食器であり、中でも、唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」と呼ばれた丈夫で壊れにくい、厚手で素朴なやきものが代表的です。現在も、磁器の食器の生産は国内でもトップクラスです。 |
みかわちやき 三 川 内 焼 |
長崎県佐世保市 ♣ 慶長年間 (1596~1615年)~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
平戸焼とも呼ばれ、平戸藩の御用窯として、渡来した朝鮮の陶工が開窯しました。18世紀初頭には天草陶石を用いた白磁に染付(藍色の絵付)された作品が作られるようになり、海外にも輸出されました。明治以降民営となり、一時期衰退しましたが、意匠伝習所を設立、新しい意匠なども考案され、現在も盛んに作られています。 |
おんたやき 小 鹿 田 焼 |
大分県日田市 ♣ 宝永2(1705)年~ ♥ 重要無形文化財 |
黒木十兵衛が小石原村の陶工・柳瀬三右衛門を招いて開窯。昭和29年には民芸運動でも有名な陶芸家バーナード・リーチが約1ヶ月滞在し、優れた民窯として注目を集めるようになりました。窯元は10軒あり、創業以来ほぼ同数のまま一子相伝で受け継がれて今日に至っています。作風は飛び鉋、刷毛目、櫛描、打ち掛け、流し掛けなどの多彩な技法が用いられ、昔ながらの陶法に人気が集まっています。 |
あまくさとうじき 天草陶磁器 |
熊本県天草地方各地 ♣ 江戸時代~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
熊本県天草地方で焼かれる陶磁器の総称で、国の伝統的工芸品に指定された際につけられた新しい呼び名です。豊富な天草陶石と陶土が採掘されるため、古くから磁器の内田皿山焼や高浜焼、陶器は丸尾焼、水の平焼などが、天草の天領(幕府の直轄地)の各地で焼かれていました。現在でも多くの窯元・陶芸家が伝統と独自性のあるやきものをそれぞれ競い合っています。 |
こうだやき 高 田 焼 |
熊本県八代市 ♣ 寛永9(1632)年~ |
八代焼とも称し、細川家転封のため細川三斎に従い、豊前国上野にいた陶工・尊楷(和名:上野喜蔵)が開窯。初期は上野焼の作風でしたが、後に、きめの細かい胎土を用いるようになり、象嵌の技法が完成され、褐色地に白模様の象嵌だけでなく、白地に黒色の象嵌模様の太白焼(白八代または白高田)と呼ばれるものも焼かれるようになりました。現在では、高麗風の象嵌を施した高麗青磁の作品も作られています。 |
しょうだいやき 小 岱 焼 |
熊本県 荒尾市・南関町・熊本市 ♣ 寛永9(1632)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
小代焼とも表記し、豊前から転封された細川忠利が陶工の牝小路家初代源七、葛城家初代八左衛門を従え、開窯したのが始まりです。作風は、鉄釉に白濁釉を流し掛けしたものが代表的で、素朴で味わいがあり、現在では茶器の他に、食器などの日用品も多く作られています。 |
さつまやき 薩 摩 焼 |
鹿児島県 姶良・日置・鹿児島市 ♣ 慶長4(1599)年~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
渡来した朝鮮の陶工たちが、朴平意を中心として、薩摩各地で開窯しました。現在、鹿児島県内では、竪野系、苗代川系、龍門司系が薩摩焼の系譜として続いています。薩摩焼は一般に「白薩摩(しろもん)」と、「黒薩摩(くろもん)」に大別され、前者は豪華絢爛に色絵さえた錦手の作品で、海外でも有名です。一方の黒薩摩は、鉄分の多い土で黒っぽく、重厚な雰囲気を持っており、日用雑器が主として作られました。最近では焼酎のブームに伴い、黒薩摩の黒千代香(くろちょか)と呼ばれる焼酎用の土瓶も知られるようになっています。 |
たねがしまやき 種 子 島 焼 |
鹿児島県種子島 ♣ 江戸時代~ |
種子島島内のみで使用されていた民窯の能野(よきの)焼が始まりですが、島外に知られることなく明治には廃窯になっていました。しかし、昭和46(1971)年、唐津の伝統を持った陶工により再興され、現在に至っています。作風は、島の鉄分を含んだ土を用い、丈夫で素朴な風合いのやきものになっています。 |
つぼややき 壺 屋 焼 |
沖縄県 那覇市壺屋・読谷村 ♣ 17世紀~ ♥ 経済産業省指定 「伝統的工芸品」 |
琉球は古くから海外との交易が盛んだったため、早くから中国や南方諸国の陶法が伝えられていたと考えられています。1682年に王府の政策により各地の窯を統合し、現在まで続く壺屋焼となりました。明治に入り、民芸運動の柳宗悦、濱田庄司らが訪問し、一躍全国的に有名になりました。昭和には金城次郎(人間国宝)をはじめ、多くの陶芸家が読谷村に移転て陶芸村(やちむんの里)をつくり、読谷壺屋焼とも呼ばれています。沖縄独特の色鮮やかな絵付や彫刻紋様は、現在でも人気を集めています。 |


