年表的やきもの考
近世 (3)

update:2018/05/11

前回の有田の話の続き。京都も磁器の焼成に成功し、現在につながる京焼の隆盛のはじまりました。

◎京焼の台頭

肥前と共に、江戸時代のやきものに華を添えたのが京焼です。経済産業省が認定している伝統的工芸品としては、「京焼・清水焼(きよみずやき)」と登録されています。冒頭で、都市部でやきものは作れていないと書きましたが、京都は例外。といっても、技術が発展した江戸時代から産業として発展しました。

京都では、織物のエリアとして西陣が有名ですが、やきものでは清水(きよみず)が有名です。京都におけるやきもの産業の本格的なはじまりは、五条坂。上った先には清水寺があります。現在でも五条坂には陶家が集中しており、清水焼という呼称が生まれました。しかし、京都のやきものはその後もどんどん拡大を続けたため、もっと広義な総称として、京焼という名称も使われるようになり、前述の登録は京焼・清水焼という併記に至ったようです。

さて、清水焼にしても京焼にしても、現在では様式や技術で定義するのは難しい、というか、歴史や場所、陶工の順に基づいて延々と書かねばならなくなるので、このブログでは割愛します(というより、筆者には無理です)。ですから、ものすごく乱暴な書き方ですが、京都で焼かれたものが京焼ということで、あとは作った本人が自分の作品をどう呼ぶかということでお許しください。

ここでは、“メジャーな”京焼を紹介しましょう。京焼は名高い陶工を輩出し、その名がブランド名のように、後世まで残っているものがあります。全国各地で歴史ある陶家があり、名前が伝えられていますが、この京焼ほど、個人作家のように次々と名高い陶工が登場するのは珍しいこと。ですから、この名工たちの紹介という形は京焼を理解する上で、分かりやすいポイントになると思います。

◎仁清・乾山・頴川・木米・道八・保全

筆頭は野々村仁清(ののむらにんせい)。京焼初期の偉大な陶工で、京焼色絵の完成者とされています。この仁清こそが、京焼とか、清水焼と呼ばれる、華やかで洗練された器のステレオタイプのイメージだと思います。しかし、この頃の京焼は、まだ磁器の焼成はできず、陶器。この仁清が作った茶壺や香炉は現在では国宝や重要文化財に指定されており、名を残しにくい職人の世界では珍しい有名人です。

次は尾形乾山(おがたけんざん)。琳派の創始者・尾形光琳の弟で、弟が器を作り、兄が絵付をした合作の作品も。作風は、仁清の華やかで斬新な意匠の流れをくみつつ、琳派らしい作品もありますが、特筆すべきは銹絵(さびえ)と呼ばれる、水墨画のような絵付作品。自由で伸びやかな筆さばきが、器という枠を飛び出した絵画作品として鑑賞に値します。

江戸中期になって、京都でも磁器の焼成に成功します。それが奥田頴川(おくだえいせん)です。頴川の作風の特徴は中国風の絵付。仁清や乾山とはまた違った、新しい京焼の意匠を生み出し、京焼の歴史の中でも異彩を放ち、その功績は大きいでしょう。
この頴川のもう一つの功績は、優れた弟子を育てたこと。技術を隠すことなく伝え、京焼の発展に貢献しました。中でも有名なのが、青木木米(あおきもくべい)と仁阿弥道八(にんあみどうはち)。この二人に永樂保全(えいらくほぜん)を加えた3人が、京焼の幕末三名人です。この永楽家の当主は代々善五郎を名乗り、保全は11代善五郎のこと。ちなみに当代は17代目(※註)です。

さて、ここまで長々と書いていきましたが、近世の時代では他にも山口の萩とか、石川の九谷など、まだまだ書き足りないことは分かっていますが、今回はここまでにして、また別のテーマで、徐々に触れていきたいと思います。

次回は、いよいよ近現代です。
 

京焼 伝統と革新

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)
 
※註:永楽家につきましては、2021年に17代のご長男が18代を襲名し、17代は「而全」と名乗られています。(2023年6月加筆)