年表的やきもの考
近現代 (3)

update:2018/06/01

前回の続き、時代は昭和になります。

日本が軍国主義の時代、やきものに関しては特筆すべき点がありません。特に、第二次大戦中は、やきものも軍事的なものを作らされたりした例も残されています。

そして、戦後、もののない時代から、現在までの現代陶芸の隆盛が再スタートします。
再び窯に火が入ると、各地で様々な動きが始まりました。

◎日本工芸会と走泥社

戦後のさまざまな潮流の中でも、伝統を重んじ、時代に即した伝統工芸と、より美術界に近い、表現として制作した前衛陶芸をあげましょう。前者を引っ張ったのは、伝統工芸展を開催する日本工芸会であり、後者の先頭が走泥社(そうでいしゃ)です。

日本工芸会は伝統工芸の技術保存・向上を目的としており、人間国宝なども輩出していますが、人間国宝のご紹介を含めて後日としますので、ここでは、「やきもの」の新しい位置づけを提示した走泥社について少し触れましょう。その新しいやきものとは、実用性を持たない、造形を追求した「オブジェ」です。

それまでの「やきもの」は実用を抜きにしたものがありませんでした。飾るためのものにしても、一部の陶人形をのぞけば、花瓶だったり、皿だったり、香炉だったり「器」の形をしています。伝統を重んじるということは、実用性を無視することが難しい。ですから、それを外し、純粋に「造形」のみを考えること、それはまさに前衛的でした。走泥社の中心であった八木一夫(やぎかずお;1918−1979)は、伝統的な陶磁器を軽んじた訳ではありません。やきものの世界に新しいジャンルを確立させた偉大な陶芸家なのです。

ちなみに、八木一夫のオブジェは魅力的ですが、展覧会で見るもの。触って撫でてという「やきもの」に対する欲求は、このオブジェに関しては筆者は感じません。ただただ、眺めていたいのです。しかし、八木一夫をはじめとする走泥社の陶芸家たちは、器も作っており、こちらは撫で回したい。特に筆者にとっては、八木一夫の粉引(こひき;白化粧した陶器)の器(特に酒器)が垂涎の的になっています。実に洒落たものなのです。

◎昭和の桃山復興

走泥社と共に、もう一つの大きな潮流が「桃山復興」です。言葉の通り、桃山時代の陶磁器を再興させようとしたもの。代表は備前の金重陶陽と美濃の荒川豊藏。金重陶陽(かねしげとうよう;1896-1967)は、桃山時代の力強い茶陶を中心とした古備前の再興を目指し、備前焼の中興の祖と呼ばれています。一方の荒川豊藏(あらかわとよぞう;1894-1985)は、古志野の陶片を発見し、失われていた志野や黄瀬戸、織部などの技法を復活させた陶芸家です。他にも、唐津の中里無庵(なかざとむあん)や萩の三輪休和(みわきゅうわ)なども有名です。

この偉大な陶芸家たちの活躍は、それぞれ多くのストーリーがありますが、今回は割愛。しかし、現代陶芸を語る上で外せないビックネームですので、機会があれば、ぜひ作品を見に行ってください。そして、桃山陶と現代作品をぜひ見比べて愉しんでいただくことを期待します。

さて、長々と書いた、年表的なやきもの紹介はここまでです。
これはあくまでもざっくりとした流れをかいてみました。
この程度のことが頭に入っていると、いろいろな専門書を読んだり、美術館に行ったりするときに、いっそう楽しくなるのではないかと思います。

次回から、新しい連載をはじめます。
 

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)