年表的やきもの考
近現代 (2)

update:2018/05/25

ここまで、土器の時代から始まって、近代の始まりまでのやきものの歴史をざっくり流してきました。しかし、ここにきて年表的やきもの考の一つの分水嶺の話をします。それは、それまで「陶工」として、職人が作っていたやきものが、「陶芸家」という個人が表現する美術工芸品としてやきものが作られるようになってきたことです。

「なにが違うんだ?」とおっしゃる方も多いと思います。実際、美術品だろうと、産業品であろうと、そんなことどうでも良いと言われても、ごもっともです。作り手たちの思いは、必ずしも、使い手、買い手と同じくするものとは限りませんし。しかし、作り手たちに新しい意識をもって創造する存在が登場してきたということ。いろいろなアプローチで制作する人間たちが現れたと思って、これからの流れを読んでいただけるといいかなと思います。

◎現代陶芸の父

大正に入ると、やきものに新しい価値観が生まれてきました。それは、西洋思想の影響を受け、「個」を尊重する風潮から生まれた創作としての陶芸です。「技術の高さ」よりも「個の表現」、生産ではなく、創造された「作品」という訳。
この説明ではピンと来ない方もたくさんいらっしゃると思いますが、これは一つの価値観を提示しただけです。正直言えば、あまり難しく考える必要はないと思うので、さらっと聞き流してください(興味ある方は、専門の陶芸論や工芸論をお読みになっていただきたい)。
ただし、この価値観は現在まで続いていますので、陶磁器の作り手たちが、職人・陶工かと名乗るか、(個人)作家・陶芸家かは、自らの制作活動の姿勢を示す一つの指標と考えて良いと思います。

これ以降、陶芸家、そして彼らが作る作品を美術工芸品として鑑賞するという概念が出てきました。この概念の下、現代陶芸の父と呼ばれるのが富本憲吉(とみもとけんきち;1886-1963)です。富本憲吉に関しては、言葉で説明するのは筆者の力では難しいのですが、ぜひ一度は実物を見ていただきたいですね。

実は、この富本憲吉は、東京藝術大学美術学部の前身となった、東京美術学校の図案科を卒業しており、教授を務めています。戦後には人間国宝に指定され、亡くなる直前には京都市立美術大学学長にも。工芸、陶芸の世界を美術の分野に切り開いた陶芸家と言えるでしょう。

◎陶芸家初の文化勲章

もう一人、近代陶芸を切り開いた巨匠を紹介しましょう。前回紹介した帝国技芸員の一人、板谷波山(いたやはざん;1872-1963)です。この人物も東京美術学校出身。ただし彫刻科です。戦後は人間国宝の話もありましたが、辞退。しかしながら、陶芸の分野では初の文化勲章を受勲しています。

波山の作品で名高いのが葆光彩磁(ほこうさいじ)という技法を用いたもの。この独特の絵付けによる高度な技法は、多くの陶芸家が再現を試みていますが、実は現在も厳密にはどのように絵付けをし、焼かれたものがわかっていません。しかしながら、その芸術性に対し、近現代の作品としては数少ない、重要文化財に指定されているものがあるのです。

言うまでもないことですが、美術品の鑑賞であれば、好き嫌いは見る人の勝手。それこそが、現代陶芸への第一歩です。「表現」に素晴らしいと思うのであれば良し、明治初頭の超絶技巧作品との主義主張の差に感じ入るのも良し、なんか好き!でもOK、とにかく実物でぜひ。

今回はここまで。最後に、戦後の昭和に話は続きます。
 

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(2010年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)