窯見聞録
原始 (脱線の中国編)

update:2018/06/29

今回は、ちょっと脱線ですが、中国大陸の窯の話を軽く触れておきます。

前回書いたとおり、日本は現時点では世界で最も古くから土器が焼かれたとされています。しかも1万年以上と長い。しかしその間、窯の技術的な発見はあまりなかったと考えられています。

一方、中国では、新石器時代晩期(紀元前3000〜2000年頃)には、原始的な窯が登場しています。日本ではまだ縄文時代ですね。

中国の仰韶(ヤンシャオ;ぎょうしょう)文化の遺跡では、住居跡と墓場跡と一緒に窯場跡も発掘されています。窯は堅穴式と横穴式の2種類がすでにあるそうです。
……ここは観光地(河南省)として公開しているらしいのですが、筆者もまだ行ったことがないので聞いた話(読んだ話)で書かせていただきます。

さて、中国では紀元前1000年頃までには、龍窯(りゅうよう)と呼ばれる、後まで長く使われた構造的な窯が登場しました。斜面を利用した単室の窯で、広義では登窯(のぼりがま)の形態に属します。
広義での登窯とは、斜面の地形を利用して窯を築き、下から火を焚き、炎を上へ上らせる構造の窯のこと。この窯内に区切りのない(一部屋のみの)単房式登窯を中国では龍窯、日本では、穴窯(窖窯)や大窯と区分するのが一般的です。

ちなみに、本稿では、日本における窯の形態として一般的な解釈である、穴窯→大窯→登窯という区分を採用し、登窯は狭義の連房式登窯を指すこととしています・・・この連載では、次回以降で詳しく紹介していきますので、とりあえず言葉だけ止めておいてください。

中国では、この龍窯が改良され、どんどん規模が大きくなっていき、南宋末(13世紀)頃まで使われていたようです。宋代の名高い青磁器などは、この龍窯で焼かれました。

中国南宋の名高い名窯といえば、龍泉窯(りゅうせんよう;杭州)。窯跡も多数発掘されており、見学できるところもあるそうですが、一大産地で最盛期には1万人以上の陶工がいたと考えられているものの、すごく山の中らしい(現在も集落はあります)。流通面から考えると、非常に不便で会ったと思いますが、斜面もまた多く、窯を多く築くには適していたのでしょう。しかしながら、そう思ってもなお謎が残るほど、急な山の斜面にも多くの窯が築かれているようです。

さて、話を日本に戻しましょう。

野焼きから窯に移行したのは、遙かに時代が下って古墳時代。紀元後5世紀ぐらいとされています。残念ながら、日本では野焼きから窯への発展は見られず、中国から伝わった朝鮮半島から、日本に伝来したと考えられています。それが穴窯(あながま)。前述のように、斜面を利用した単房式登窯の形態です。

この穴窯の登場により、日本のやきものも飛躍的に進歩しました。閉じ込められた窯という空間で焼くことで、高温を保ち、丈夫な「須恵器(すえき)」が作られるようになったのです。

ということで、今回の原始編はここまで。次回は古代編ということで、穴窯の話から始めたいと思います。この時代になると、日本の遺跡もご紹介できるので、もう少し見聞きしたことが加えられるのではないかと思います。
 

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(2011年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)