窯見聞録
近世 (2)

update:2018/10/27

前回は割竹式登窯の登場を書きました。しかし、その窯の形式は九州に留まってあまり広がらず、同じ登窯でも別の構造のものが登場します。これが、「連房式登窯(れんんぼうしきのぼりがま)」です。

連房式登窯は全国各地の窯業地に広まり、六古窯に代表される、古い窯場でも、穴窯や大窯から連房式登窯へと以降していきました。

割竹式が文字通り「竹」だとすると、連房式は「ラクダのこぶ」というイメージです。ただし、こぶは二つではなく、もっとたくさんあり、幅の広い階段にそれぞれドーム状に部屋を連ねていくという構造をしています。一番下が焚口で、頂上が煙道というのは同じです。

では、違いとは? それは、窯の中を走る炎の動きになります。下で焚かれて出た炎は上へと上がっていきます。それをドーム状の天井を沿って、下へ進ませ、炎の通り道である穴に集中させるようにして次の部屋に行く構造を、倒炎式と呼んでいます。この倒炎式にすると、部屋の温度が上がりやすく、従って効率が良い。ですから、備前(岡山県)では、大窯から移行した連房式登窯を「融通窯」と呼びました。ちなみに、穴窯や大窯は直炎式で、割竹式登窯も同様に炎の走りが直線的で、速い。

この連房式登窯は、各地で発展を遂げ、様々な史跡が残っています。場所や目的によって、多少様式が異なりますが、根本的な構造は同じです。大きなものは20室以上あるものもあり、全長はかつての大窯を上回る100m以上のものも。中には比較的新しいものもありますし、現在まで使い続けているものもあります。前述の肥前陶器窯跡の中にも、連房式登窯がありますし、同じ佐賀県内には肥前磁器窯跡もあり、こちらも国指定史跡。他に、萩(山口)、美濃(岐阜)、京など、有名な窯業地のほとんどに登窯があるといっても大げさではなく、端麗な磁器も、素朴な土味の陶器も連房式登窯で焼かれました。

ではここで、例外を追記しておきましょう。一つが京都の楽焼。もう一つが、有田や九谷など、上絵付のための窯。

楽焼とは、長次郎にはじまり、現在の16代楽吉左衞門まで続く、茶の湯のやきもの。楽焼窯とは、内窯と呼ばれる室内の小さな窯です。……残念ながら、映像で拝見したのみですが。

もう一つの内窯として有名なのが、絵付窯です。錦窯(きんがま)が代表的な構造で、壁が二重構造になっています。有田や九谷、京焼の色絵の陶磁器は、いわゆる上絵付けと呼ばれる技法で、成形後に透明の釉薬(ゆうやく;うわぐすり)をかけて焼き上げた後に、改めて絵付けをし、また焼いて絵を定着させます。この絵付け後の焼きは、時間も短く、温度も低くてOKですが、表面に一定の熱をまんべんなく当てたいのであって、炎が直接、器の表面に触れるのは避けたい。もちろん、薪の灰などがかぶっても、せっかく描いた絵に汚れがつくようなものです。そこで、小振りの二重構造の窯で、外側に炎を回して内側は均一に温度を保ち、絵付けの色を安定して出すようにしたのです。

改めて言うまでもありませんが、江戸時代までは、あらゆる「やきもの」が薪窯で焼かれていたわけです。電気はもちろん、灯油も使われていません。それは、明治以降の話です。

では、次回にて。主に現代の多様性を中心に書く予定です。

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(2011年初出、転載・加筆修正、2023年加筆修正)