その18 陶磁器の色いろ〜モノトーン編1:白 2011年8月3日 at 7:17 PM

今回のテーマは、「色」です。

「陶磁器の色」という言葉のイメージで最初に浮かぶ色は何でしょうか? 土器を連想するなら土の色である茶色。日常の食器をイメージするなら、白と言う方も多いかもしれません。
実は、この2色は陶磁器の歴史において、見事に双璧をなしています。なせなら、茶色(土色)は、素材である土の色=やきものの原点の、自然の色だからです。そして、一方の白とは、人口的なもの。土を精製し、焼成の技術を上げていくことで、どんどん不純物の色をなくしていった結果、真っ白な磁器に到達したからです。

ところで、ここでいきなり脱線しますが、気になることが。。。白って色なのか? ということ。確かに、絵の具の白はあります。しかし、本格的に絵を描くならともかく、普通は他の色と混ぜる以外はほとんど使わないのではありませんか? 他にも、現在の印刷物において通常は白のインクは使いませんし(特色として追加する事はある)、光の三原色によると、赤・緑・青の三色を加えると白になるということで、モニターやテレビの色は成立しているのです。それに、そんな難しいことを考えなくても、“何もないキャンパス(=白)に描く”とか言うように、白はなにもないことの象徴ですよね。ちなみに、ある白磁作家に、「あなたにとって白は色ですか?」と質問したことがあります。その答えは、「色であって色でないもの。」・・・実は明確なお答えをいただいたわけではないのですが、後から話の内容を自分なりに解釈すると、その作家にとって白は「色」であるが、完成した作品は、持ち手や空間によって彩られる「無、あるいは起点」のような存在感であると。

しかし、ここでは「白」を陶磁器の色の一番目として紹介しましょう。なぜなら、人が「白」を美しい色として追い求め、さらには、さまざまな発色の陶磁器が生まれる一因となったのではと思うからです(学術的な話ではありませんが)。

◎白磁(はくじ)
白といえば、なんといっても白磁を一番にあげるべきでしょう。白磁の歴史は中国から。6世紀には作られていましたが、初期の白磁は、現代なら白磁と呼ぶことはないようなもの。白磁の完成形には年月が必要でしたので、いわゆる「白磁」としては、中国の唐代の後期の8世紀頃からです。唐の陸羽が記した、名高い「茶経」には、白磁を「雪のごとし」と謳っていることからも、真っ白に輝く白磁が完成していたことが分かります。
では、ここで白磁の技術的な説明。純度の高いカオリンという白色の素地に透明の釉薬を掛けて高温で焼かれた、白の硬質磁器のことです。前述のとおり、中国ではかなり早い時期から作られていましたが、世界中に伝播するにはかなりの年月を要しました。白と言ってもいろいろで、中国の最高峰のような「白」に到達するためには、良質な土の入手や、さらにはその土を精製し、純度を高めることによって白くする必要があります。そして、もちろん、焼き方も重要です。その上で、洗練されたフォルムと丈夫で硬く仕上げるのは、大変高度な技術だったわけです。そこで、朝鮮半島は10世紀ぐらい、次いで日本は江戸時代初め、さらに欧州では18世紀に入ってからという、中国から数世紀も後の時代まで待たなければなりませんでした。ですから、世界中で中国の白磁に対する憧れの思いは強かったのです。
さて、有名な白磁をざっとご紹介してみましょう。
まずは中国から。北方系を代表する定窯と、南方系の景徳鎮窯が有名。焼き方も異なり、定窯は石炭、景徳鎮窯は薪で焼かれました。その違いは、「白」の色の違いに現れます。あくまでも一般論ですが(個々の作品によって差はあるので)、定窯の白は象牙色(アイボリー系の温かみのある白)で、景徳鎮窯はやや青みの入った白や純白。景徳鎮の方が、作られた器種も多く、大量に生産されていました。
次は朝鮮半島。古くは高麗白磁、そして李朝白磁と呼ばれています。特に李朝白磁は、生活必需品として広く使用されていたものであり、中国における皇帝のための完璧な器や、欧州の貴族で人気を博した輸出用のものとは違った魅力があります。現在の日本の白磁作家でも、定窯や景徳鎮窯の白磁に憧れを持って制作する人がいる一方で、李朝白磁に特別の思いを持って制作をされる方がたくさんいるのです。
そして、日本。佐賀県有田で白磁に最適な石場が発見され、最初の白磁が作られました。その後、九谷や京へでも作られるようになります。ただし、江戸時代の白磁にはあまり有名なものがありません。白磁が完成すると、絵付けの方に重点がおかれ、白磁としての美の追究はあまり盛んでは無かったように思います。それは、江戸時代という時代の潮流も影響していたでしょう。平和な時代の町民文化では、それまでの武家文化と違って比較的華やかなものが好まれ、やきものでも、有田焼をはじめ、九谷焼、京焼など当時の隆盛を誇った窯業地は、さまざまな意匠の「絵」を施しています(年表的やきもの考〜近世も参照してください)。日本において、白磁の最盛期は、「今」ではないかと思います。人間国宝を筆頭に、中国や朝鮮の白磁をリスペクトしたものから、欧州の食器デザインを昇華したもの、さらにはオブジェまで、実にさまざまの陶芸家が活躍しています。
最後に欧州も触れましょう。最初に白磁を成功させたのは、ドイツのマイセン窯です。当初は中国や日本の磁器の模倣からはじまり、その後は世界の代表する、西洋白磁の頂点と言ってもいいでしょう。
なみに、現在、私たちが日常で大量生産の白磁をよく見かけるし、多くの家庭にもあると思いますが、それはヨーロッパの食器文化のデザインによるものがほとんど。昭和に入ってマイセンなどの欧州の名窯のデザインに憧れた日本人は、それ風の食器を作ったりして、食卓を賑わしているのは、なんともおかしな話であります。
さあ、白磁だけで長文になってしまいましたが、残りの「白」も駆け足で触れてみましょう。

◎白化粧(しろげしょう)
白磁は高度な技術と書きました。そこで、白くない土の上に、白く塗ることが考えられました。それが化粧掛けという技法、その名の通り、肌に白い化粧を施すわけです。実際、前述のカオリンはファンデーション(おしろい)に使われているのですから、どちらが先か、悩ましい程です。
話を戻して、やきものにおける化粧とは、有色の陶土の表面に白色の陶土を薄く掛けることです。従って、白化粧は陶器であり、磁器はありません。素地が白い磁器に化粧を施す必要はありませんから(陶器と磁器の違いは、陶器ことはじめ陶器の発展磁器に至る道を参照してください)。
化粧のやきものを一番にあげるとすれば、朝鮮半島の「粉引(こひき)」でしょうか? 粉をひいたように化粧を施したもので、特に茶碗に名高い名品が伝えられています。
中国では、磁州窯で作られていたのが有名です。こちらは、白無地の他に、その白地の上に黒で絵付けされたり、掻き落としで素地の色を出すなどの加飾も施されたものも多く作られています。
日本では、歴史的には、あまり有名なものはありません。朝鮮半島の粉引、あるいは白化粧に象嵌を施した三島(みしま)など、いずれも朝鮮半島のやきものを模したものが作られましたが、日本独自の意匠による化粧作品は現代まで待たねばなりません。

◎白秞(はくゆう)
最後に、白い釉薬(ゆうやく;うわぐすり)による白のやきものを紹介しましょう。
これも、はじまりは白磁への途中過程からと考えて良いかもしれませんが、そこから発展して、白磁とは全く別のやきものへと昇華していきました。ちなみに、白化粧と白釉の違いは、焼いた時の仕上がり。釉薬とは、焼くと表面に薄いガラス質の層を作りますので、水をはじいたり、硬くしたりしますが、化粧土を掛けただけでは、そのような層はできません。化粧は主に色などの加飾をするだけで、その上から透明の釉薬を掛けるのが一般的です。
白秞には、主に2種類の成分のものがあります。長石(ちょうせき)を成分とした乳白色の釉薬と藁灰(わらばい)を成分とした白濁釉です。
長石の代表格は、美濃地方で志野(しの)でしょう。16世紀頃から、ごく短期間作られたやきものであり、昭和にはいって荒川豊藏が復活させるまで、長く製法が謎とされたやきものでした。ひょっとしたら、志野というと、緋色などの赤みを連想する方もいるかもしれませんが、前述の通り、志野は乳白色の釉薬をベースにしたやきもの。焼き方によって、赤みが加わったりするだけです。特に、前述の荒川豊藏は志野にほんのり染まる緋色を出した作品を多く発表していますので、そのイメージもあるかもしれません。もし、志野=緋色のイメージをお持ちなら、古い時代の志野の茶碗なども見ていただきたいと思います。
一方の藁灰釉で有名なのが佐賀の唐津。唐津焼にはいろいろな技法もあって、その一つの斑唐津(まだらからつ)が藁灰釉を使われています。よく光に当ててみると、白濁の地の中に青や黒の斑の模様がうっすらと見えるのが特徴です。唐津焼の中でも歴史が古く、技法には諸説があります。現代では、陶芸家によって、餅米の藁だという人もいれば、雑穀に違いないという人もいますし、今でも謎と言っても良いかもしれません。
もう一つ有名な、白秞と言えば、山口の萩でしょう。こちらは、現代まで途切れることなく続いており、陶家も十数代目という名家がいます。この萩の白も、釉薬の配合や焼き方によっていろいろあり、それが各陶家の特徴になったりしています。名高い陶家である三輪家では、休雪白と呼ばれる純白の藁灰釉が有名ですし、他にも長石釉を用いた釉薬もあります。

・・・またまた長文になりました(過去最長です)。白だけでこんなに長いと前途多難ですが、しばらくは「色」をテーマに続けたいと思います。

次回は、モノトーン編の第2弾。「黒」を予定しています。

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その17 「窯」見聞録〜近現代編 2011年4月19日 at 6:40 PM

窯の話も近現代まで来ました。まずは、文明開化のお話からです。

江戸時代の約250年間というもの、「窯」に関しても劇的な変化はなく、用途や土地の状況によって、多少の構造やサイズの違いはあるものの、登窯(のぼりがま)という、土で築いた窯を使い、薪で焼いていたのです(前項を参照)。
そして、明治に入り、西洋文化が「やきもの」にも流れ込みました。それは、技術にも思想にも劇的な変化と言えるでしょう。すなわち、西洋における産業革命において手工業が変化したように、「窯業(ようぎょう)」という概念が生まれ、一方で西洋文化における芸術という概念から「陶芸」という概念が生まれたのです。しかし、それは、産業論であったり、工芸論だったりしますので、今回は「窯」という技術の話のみに絞ります。

さて、イギリスにおいて18世紀からはじまった産業革命といえば、蒸気機関車とか、蒸気船をイメージしませんか? つまり、石炭というエネルギーの発明が産業革命を生んだのです。そして、窯業においても、石炭窯が登場し、それが明治にはいって日本にも輸入されました。薪よりも価格が安く、薪よりもパワーがあるので効率よく温度があがりました。ただし、機関車と同じで煤煙がすごく、環境面からも次の燃料へと移っていきます。それは石油の発明で、これも産業革命と同じです。

興味深いというか、考えてみれば当たり前のことですが、近代のエネルギーの変遷がそのまま「窯」の変遷へとつながっていきます。石炭=石炭窯 → 石油=灯油窯 → ガス=ガス窯 → 電気=電気窯というわけ。そして、現在はマイクロ波窯がありますが、多数派は電気窯でしょう。

先ほど、考えてみれば・・・と書きましたが、なぜ忘れがちかと言えば、現在は薪窯もあるし、灯油もガスも、陶芸家の選択肢になっているからです。工業製品としての陶磁器を考えた場合は、各窯業メーカーによってガスや電気が使用されているでしょうが、個人レベルの制作活動においては、窯の選択も伝統であったり、個性であったりします。
もちろん、どこでも好き勝手が出来るわけではありません。薪を住宅街で焚く訳にはいきませんし、ガスだっていやがられる場合もあります。登窯の使用を禁止した条例ができて、京都市街では登窯の煙が上がることもなくなりました。一方で、岡山の備前焼の中心地である伊部では、今でも煙が上がり続けています。

では、それぞれの違いは?というと、はっきり言って、一口で言えるものではありません。薪窯とそれ以降の燃料窯の2区分だけなら、構造的にもかなり違いがありますが、近代以降の燃料窯の構造の違いを細かく知っても、使用・鑑賞という概念では大きな意味があるかどうかは疑問です。各作り手たちは、目指す「焼き」があって、それに向かって「窯」を選択しているのです。ですから、どの「窯」を使っているかは、作り手の姿勢や意識を知る上では興味深いのですが、善し悪しを判断するのは、はっきり間違いです。

例を挙げましょう。もし、ある陶芸家が桃山時代の備前焼を目指すとします。それを目指すために本格的にやろうとすれば、当時の状況に近い窯や材料を選択するのは一つの手段でしょう。しかし、もし現代的な、あるいは自分の個性を表現するための備前焼を目指すとしたら? 現代的な窯や材料の方が自分らしいと思えば、それも本格なのです。
もちろん、備前焼を見れば、薪とガスや電気の焼きでは、見た目にも結構違いがあります。備前焼は釉薬(ゆうやく;うわぐすり)をかけず、炎や薪の灰が直接あたるように窯の中で焼かれます。他の燃料では灰は人工的に入れないと発生しません。違いは善し悪しではありません。

もう一つ例をあげましょう。志野焼です。志野は桃山時代に美濃(岐阜)で一時期のみ焼かれました。それを研究し、復興させたのが昭和の人間国宝・荒川豊藏です。豊藏の窯は豊藏記念館に現在も残っていますが(一般見学は不可)、志野の窯跡があった場所に築かれた登窯。美濃のもぐさ土で成形し、長石を原料にした釉薬をたっぷりかけて、独特の白にほんのりとした緋色で色づいた志野を焼きました。
しかし、現在の志野焼の人間国宝はあえてガス窯で志野を焼くことで有名です。つまり、桃山の志野とも、豊藏のとも別の「志野」を目指しているからなのでしょう。

同じような話はまだまだたくさんあります。色絵でも、白磁・青磁、信楽焼でも・・・。過去から現在までのさまざまな技術を選び、次へとつなげていくことが現代陶芸の多様性であり、楽しさでもあります。
各地で、さまざまな陶芸家の話を聞くにあたって、どんな窯を使っているか、そしてその理由は、と伺うのは必須項目です。言う言わないはさておき、明確な理由を持っていることは確かです。灯油窯を使っている人が、電気に変えたら、釉薬の調合にしても、焼く時間や温度にしても、全てを変えなければならないでしょう。理由がなければ出来ないことです。

とても悲しいことですが、先日の大震災をうけて、東日本の薪窯(主に登り窯)が崩壊したという話を聞いています。古くから受け継がれていた窯はもちろん、現在の作家たちが自分のために築いた登り窯も、新たに築こうと思ったら大変なことなのです。かといって、ガスや電気に変えればいいということにはなりません。また築いたとしても、その登窯に馴染むまでにもまた何年もかかるでしょう。天災に対して人間は無力ですが、その分を「つながり」で補い合いたいと思っています。このブログをお読みくださった「やきもの好き」の方々も、そういうことがあると再認識していただくことから、「やきもの」への理解を深めていただければ幸いです。

さあ、窯の話もひとまず終結です・・・長かったですね。難しいテーマでしたので、また勉強して、必要があれば、加筆修正をするつもりでおります。また、窯に関して、実体験やご見識がございましたら、メールをくださいませ(いただいたメールは、本ブログに掲載の場合があります。ただし、記名が条件となりますので、あらかじめご了承ください)。

次回は、筆者のためにも、読者のためにも、もう少し軽いテーマにしたいと思います。
ということで、次回は「陶磁器の色」についてです。

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