陶磁器の色いろ
アースカラー編:緑(1)

update:2019/11/15

陶磁器の色をテーマの連載もいよいよアースカラー編で最後。緑と土色の予定です。
 
まずは、陶磁器の「緑」についてです。
 
前稿の赤や青と同様、現在では科学的にさまざまな青が陶芸用に発売されていますが、ここで書くのは伝統の「緑」です。
そして、それは「緑釉」の話に終始すると言って良いでしょう。
 
◎緑釉陶器
 
陶器に緑の釉薬を施した「緑釉陶器」は、酸化銅が酸化焼成によって緑色に発色した鉛釉陶器のことです。その歴史は古く、西洋ではローマ時代、中国では紀元前後の後漢・唐時代頃から作られていたようです。
 
書籍によっては、中国漢時代にはじまったと書かれているものも見られますが、ローマ帝国、つまり西方から中国へと伝播したとする研究者もいます。
なぜなら緑釉とは、前述の通り鉛釉。そして、ローマ帝国にはさかんに作られていた鉛ガラスから鉛釉、緑釉が生まれ、中国へとつながっていったのではという考えがあるから。
加えて、中国には漢時代以前にガラスがほとんどなく、鉛釉が生まれる要素がないと考えているからだそうです。
 
これについては、また新たな発見を待たなければならないかもしれませんね。
 
しかしながら、緑釉といえば、中国そして日本をすぐに思い出すのが一般的と思います。実際、筆者もローマの緑釉は写真で見たことがある程度で、有名なものが日本では知られていないからです。
(本稿を書くにあたって、改めていろいろ本を漁りましたが、ほんの数点見つけたのみで、なかなか良い作品も見つかりませんでした)
 
ということで、ここからは、中国の緑釉、そして日本へと話を進めていきます。
 
◎中国の緑釉陶器、唐三彩
 
中国の施釉陶器は、後漢頃になると、鉛釉による華やかな色彩のものが登場します。鉛釉とは、酸化鉛を呈色剤(釉に色を出させるための成分)とし、酸化銅なら緑、酸化鉄なら黄や褐となります。それら3色を使ったものが「唐三彩」です。
 
実は、唐三彩という言葉は、産地である中国で呼ばれていたものではありません。唐三彩といえば、副葬品として有名で、上海の博物館にも子どもなら余裕で乗れるサイズの大きな唐三彩の馬などが展示されていますが、それと並ぶように、同時代の緑釉の壺などもたくさん並んでいました。つまり、鉛釉全盛期が唐代であり、その最高峰が日本人が三彩と呼ぶものと考えてもいいのではないでしょうか。
 
また、その前時代にあたる隋では、ペルシア陶器のリュトン(角型の杯)を燃した緑釉のリュトンなども作られていました。それを見ると、やはり、緑釉は西から来て、やがて中国で花開き、三彩のような多彩で豪華なものへと進化していったのではと想像せざるを得ません。
 
中国の三彩は、唐以後、一時的に廃れた時期もありつつ、作られ続けましたが、唐時代のような副葬品ではなく、実用的なものが増えていきます。
 
…さて、話が長くなってきました。
日本の緑については、次稿にすることにします。
 

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(2019年初出、2023年加筆修正)