update:2019/10/04
前稿に引き続き、「青」を考えていきます。
今回は、ポイントカラー、つまり「描く青」です。
顔料としての青は、コバルト系が基本。ただし、産地によっても調合によっても青色は違ってきます。当初は、中国産の天然呉須(ごす)が使われ、江戸時代では日本にも輸入されていました。ちなみに、呉須という名前は、中国の産地の地名。日本では唐呉須や古代呉須と呼んでいます。また日本でも瀬戸で呉須が産出しています。
しかしながら呉須は青の主成分であるコバルト純度が低いため、中国では元代にイスラム圏から伝えられた、純度の高いコバルト顔料(酸化コバルト)が用いられるようになりました。そして現在ではコバルトを主成分として化学的に調合され、安定した発色をする青色顔料が使われています。
では、上述の青色顔料の話を踏まえて、有名な青色で描いたやきものをあげていきましょう。
◎中国の青花
白い磁器に青1色で紋様を絵付けしているものを、日本では染付(そめつけ)、中国では青花(せいか)と呼びます。成形した素地に描き、絵付けの上から透明釉を掛けて焼成しますので、下絵付けという技法になります。下絵付けは、初期は青の天然呉須、赤の鉄絵がありますが、青に関しては元の時代には輸入されてきた酸化コバルトも多用されるようになり、美しい青花が花開きました。
青花といえば、元の時代から景徳鎮(けいとくちん)窯が有名です。その後、明・清の時代にも焼かれ続け、名高い明の永楽・宣徳年間の景徳鎮には、官窯の青花が作られたことから、すぐれた名品が数多く残されています。
ちなみに、青花の名品の多い明代ですが、時代によってイスラム圏のコバルトだったり、中国産だったりして、同じ景徳鎮でも青色が違います。イスラム圏のは鮮やかな青、中国産は暗めの色調となっているのが一般的です。
さらに、清の時代になると、中国産のコバルトを使用していても、技術の向上により鮮やかな青が出せるようになっています。
◎日本の染付
日本における染付は、李氏朝鮮やベトナム、オランダのデルフト陶器などから遅れること江戸時代、伊万里からと考えられています。こちらは白い磁器に呉須を使って絵付けされており、数多くの名品が残されています。また、京都でも古清水の染付が残されていますが、こちらは乳白色の陶器に呉須で絵付けしたものが典型的な作例となっています。
江戸時代の呉須は、基本的に中国から輸入された天然のものを使用されていたようです。ただし、産地は一箇所ではないため産地によって青色に差が出ています。日本でも、徐々に技術が発達して行く中で、安定した発色となり、やがて濃淡を表現することも出来るようになりました。
ちなみに、日本国内でも瀬戸〜美濃エリアで呉須が産出していましたが、希少なものであり、染付の人気に対して生産量が足りず、輸入に頼らざるを得なかったようです。
◎イズニク陶器
中国の青花は、イスラム圏へも影響を与えましたが、中でもトルコのイズニク諸窯では数多くの藍彩陶器が登場しています。実際、トルコのトプカプ宮殿には、中国の青花もたくさんコレクションされており、それに刺激を受けつつ、トルコらしい繊細な文様が描かれるようになったのです。最盛期である15〜16世紀には、チューリップやカーネーションなどを描いた名品が数多く残されています。
…ちなみに、チューリップの原産地はトルコ。オスマン帝国で人気となり、ヨーロッパに渡ります。
◎マイセンとロイヤルコペンハーゲン
ヨーロッパでも、同じく中国の青花は大人気となり、作られるようになりました。有名なところでは、ドイツのマイセン「ブルーオニオン」シリーズ。18世紀に中国の青花を模倣して、青いタマネギを描いた文様です。実は、中国ではタマネギではなく、おめでたい象徴である柘榴であったというのが定説です。
デンマークのロイヤルコペンハーゲンも、白磁にブルーの絵付けを施したものが代表的な作品ですね。中でも「ブルーフルーテッド」は、文化的遺産の一部とみなされているそうです。
さて、代表的な「青」のやきものをご紹介しました。
次回は、「緑」を予定しています。