年表的やきもの考 〜桃山の黄金期 (戦国武将と茶の湯)

update:2018/04/13

今回は、千利休と時を同じくして活躍した戦国武将たち、信長や秀吉からみた桃山時代の話をしましょう。群雄割拠の時代から、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康へ。やきものがテーマでは、外せない時代です。

いつも思っていることですが、この戦国時代と安土桃山文化は日本の歴史の中でも妙に異質に感じています・・・あくまでも私見ですが。

平安時代の貴族文化、そして鎌倉・室町と武家が実権をにぎっても文化的には貴族の門下を離れることはありませんでした。平安時代の仏像と、鎌倉時代とのそれでは、顔つきも力こぶにもずいぶんと差がありますが、その後の室町時代の金閣寺を見れば、文化の中心はやっぱり京の都で、貴族的であったことが分かります。

そして、安土桃山を挟んで、江戸時代。琳派に浮世絵、陶磁器も有田焼や京焼、九谷焼のような絵付を施した意匠はまさに平和な時代。写楽のような大胆さがあっても、それは遊び心であって、激しい波が岸壁に寄せるような破天荒な文化とは違います。

さて、話は戻って、安土桃山時代。日本であって日本でないような、荒々しいまでの生命力に溢れて、驚くべき斬新さが生まれた文化のように筆者は感じます。

そんな激しい時代に隆盛した茶の湯の文化。武家がこぞって茶の湯を好み、戦国武将の恩賞に茶器が使われ、敗者から「名物」を奪い取りました。貴族文化を廃し、さらには武将の教養を高め、劣等感をなくし、さらには政治的に茶席を利用するため、信長が茶の湯を積極的に取り入れたとされています。それが、日本のやきもの史の中で「黄金期」と言われるほどの大きな潮流を生んだのです。

◎信長と名物

茶の湯の世界に「名物」という言葉があります。昔から有名な器物で、銘などをつけて愛玩されてきたもののこと。千利休以前のものは「大名物」、利休時代のものは「名物」、江戸時代の茶人・小堀遠州が選んだものは「中興名物」。
もっとも、このように明確な区分となったのは江戸時代も後期。「名物」とは歴代の茶人たちが本人の美意識で好んだ茶器をさしていただけです。今で言えば、「個人的国宝」、「勝手に重要文化財」とリストアップするようなもの。しかし、当時影響力の高い人間がやっていることですから、そのために価値が上昇したものがさぞかし多いと思います。

この「名物」に目を付けたのが信長です。「名物狩り」と呼ばれていますが、多くの名物を奪い、召し上げ、蒐集しました。残念ながら、その多くは本能寺で消失したとされていますが、一方で、信長は多くの名物を武将たちに与えていました。ですから、名物の由来を見ると、有名な戦国武将の名が連なっているものがたくさんあります。名物を見るときは、由来を見るのがもう一つの楽しみです。
この「名物」の蒐集は、秀吉にも受け継がれました。秀吉もまた名物を蒐集し、品のないことに北野の大茶会で名物を陳列し、自慢というか、示威行動をしています。

ところで、当時の名物はほぼ中国あるいは朝鮮半島の陶磁器です。前回述べた唐物崇拝は消えたわけではないのです。ただ、それが「すべて」でもなくなってきたのが、この時代なのです。

◎高麗茶碗とやきもの戦争

この時代にはやきもの史の中でも最大級の大事件があります。いわゆる「やきもの戦争」、秀吉の朝鮮出兵・文禄慶長の役です。
この悪名高い戦争は、朝鮮の人々にとってはもちろんのこと、出兵した日本人にとっても災難以外の何物でもなかったのですが、結果として、日本の文化において計り知れない恩恵も与えました。

出兵した武将たちは、朝鮮半島では雑器として使われたいと考えられている「高麗茶碗」を珍重し、それを各地で漁りました。さらにはそれに飽きたらず、多くの朝鮮陶工を連れ帰ったのです。そのため、朝鮮半島におけるやきものは壊滅的な打撃を与えましたが、彼らによって多くの窯場が開かれ、技術が伝えられました。前述のような豪放なやきものが誕生した背景に、技術の飛躍的な進歩があったことも確かでしょう。

彼らの作った窯場の代表が、唐津、上野(あがの)、高取、伊万里、萩などです。彼らは陶祖として名を残しているものもいることから分かるように、大名の庇護を受け、現在まで敬意を払われています(後に和名に変更している場合がほとんどですが、陶祖は朝鮮名も残っています)。この後、日本のやきものは急激にバラエティ豊かになり、さらには磁器の焼成成功へと至るのです。

ちなみに、彼ら朝鮮系の陶工を祖として、現在まで続いている家もあります。陶祖と陶祖神社・陶祖祭は各地に残っていますので、いずれ別の機会にその話をしようと思います。

さて、嵐のような桃山期が終焉すると、文化も丸くなってきます。そのため、一部の窯場は冬の時代となり、あるいは時代にあった新しい意匠の模索が始まります。それは、次回にて。
 
 
(2010年初出、転載・加筆修正)